ゴールデンウィークと田舎暮らし

こんにちは〜。気がついたらもう5月になりましたね〜。
あっという間ですね。早いものです。


ここのところ、気温が一気にUPしてきました。先日など、25度、という真夏並みの気温になってしまいました!!
つい半月前まで雪が10cm近くも積もっていたのに!!一気に「冬→春を通り越して→夏!」という感じになったので、こちらとしてはビックリしています。ええ、雪の時と真夏日を比較すると、20度以上違うわけですからね、そりゃ体がおかしくなってしまいますよ〜。早くも夏バテのような症状が出始めております。なんてこったい。我が家は「山あい」にあるので、気候の寒暖さは、普通の平地に比べて多く、体がまだ慣れていないこの頃です。
おかしいなぁ、学生時代はもっと標高の高い地方で4年も生活していてなんともなかったのですから…。年をとったこと、自律神経があまりうまく機能していないといったところもあるのかなと思います。


さて、先日までゴールデンウィークでしたが、皆さんはどのように過ごしましたか?
私としては、久々にゆっくりできるかなということで、田舎で庭の草取りや家庭菜園をしながら暮らしました。「庭の草取り」は結構、我が家では大変です。庭が広いですからね、20坪ぐらいはあるのかな。ぼーとしてるとあっという間にグングン成長してしまいます。2週間もほっとくと草原状態になってしまいます。除草剤をまいたり、草取りをしたり、とちょこちょこメンテナンスをしないといけないのは大変なことです。これが結構な重労働?でよい運動になったりもしてます。


さて、そんなゴールデンウィークにも、この田舎には変化がありました。

・中央道の激しい渋滞

毎度、土日にもなると、普通の週末でも渋滞する中央道。小仏トンネルから大体10KM以上渋滞するんですよ、いつも。2車線だったり、坂が多くてスピードが出ない、という理由でいつも渋滞するのですが、今回は30KM以上も渋滞しとるんです。高速近くの側道を通ると、もう凄まじい渋滞!マイカーの群れがずっと続いています…。
こんな時は高速ではなく一般道で、という人も多くて、これまた一般道も渋滞、渋滞…。これを回避するためには、「裏道」+「旧道」+「裏道*3」という形で多摩のほうへ出るのですが、この「裏道」には「峠」がセットになっているので、いくつもの峠をクリアーしていかなければならず大変です。気分はイニシャルD??125CCのバイクでコレを動こうとすると、何回も体ごと傾けねばならずかなり疲れます…。(もっとも20号も20号でぐねぐね道のオンパレードですが・・・)こんな時は下手に移動しないほうがよさそうです。
そんな時に、知人から電話が。「都内に行くから飲みにこない?」そうですねー、行きましょう!!

・田舎の最寄り駅にて

田舎の最寄り駅に行くと、これまた沢山の人がいます。普段こんなにいないのに??見慣れない人たちです。しかも皆さん、格好が何やら本格的なのですよ。ある一行はリュックに杖、ある一行は大型一眼レフカメラを担いでいます。さて、この人たち、何をしに田舎に来たのでしょう?

リュックに杖→ハイキング客
大型一眼レフカメラ→鉄道ファン

ハイキングするのに絶好な山々が多いので、ちょくちょくハイキング客を見かけることはあるのですが、このような団体様でこられるのを見たのは初めてでした。ここら辺は、日帰りでハイキングに出かけられる山が多いため、GWにさぁ登ろう!とやってくるのです。
一眼レフ隊は、鉄道ファンが電車を撮影するためにやってくるのです。普段だとなかなかこれませんからねー。
大量に、団体になってきていて、しかもかなり接近して取っているのでビックリですよ〜。

「こんなに人が多いんだったらなんかジュースでも売って商売できそうだな」とか思ってしまいます(笑)

こういう人たちが私と同じように、この田舎に格安な家を買って、そこを別荘にし、ハイキングや鉄道ファンの活動拠点にする、なんてことができたら面白そうなのにな〜とも思いました。そういった都会から来た人がもう少しこの田舎に来てくれれば活気が出るのにな、とも思いました。

・電車も混んでますよ〜

さて、都会行きの電車がやってきたので、それに乗って都内に向かうことにしました。すると、「A lot of 人間」そう、電車の中は人だらけ!!これはビックリ。朝の通勤ラッシュ時でも余裕で座れるというのに(これはホントです。そうでなかったら、通勤1時間半〜2時間なんてムリでしょう)人だらけで全然座れません。そう、中にいるのはまぎれもなく「ハイキング」のみなさま。そう、中央本線は長野〜東京までありますからね。その沿線でハイキングに相応しい山々は数え切れないほどあります。その方たちが一斉に東京に帰っていくのです。うわぁー…。
(なんてこったい…)結局、多摩地域ぐらいまで座ることができず立ちっぱなしでしたね。うーん。

とまぁ、ゴールデンウィークと田舎暮らしというタイトルでお届けしました。それでは〜。

医療機関と田舎暮らし

こんにちは。4月に入り、いろいろとバタバタしており、ご無沙汰しております。
もう4月末だというのに、こちらでは天候が不安定です。
気候が10度近くもあがったり下がったりするものだから、体調があまり芳しくないこの頃。もう少し気候が安定してもらわないと、といった所です。

さて、「医療機関と田舎暮らし」について書いていきたいと思います。

我が家、というよりこの辺では、医療機関がかなり少ないです。
一番近い医療機関でも、隣の駅(個人でやっている病院)になります。総合病院、というと市立病院がありますが、これも結構遠く、バイクで15分ぐらいかかってしまうのです。また、地方の病院にはありがちなのですが、この市立病院も医師不足やら財政上あまりよろしくない、という事情もあります。(うちの市の財政難は結構深刻な状況ですね・・・・。)


そこで、医療機関にかかる場合は、電車で多摩地区の病院まで行くことにしてます。
多摩地区は、さすがに人口が多いせいか、病院には結構恵まれています。夜遅くまでやっている病院、専門の病院、総合病院などもあり、こちらの方が対応がよくいろいろと助かります。なので、医療はたいてい、電車に乗って出かけています。ただ、体調が悪いときに、わざわざ電車で1時間近くかけて多摩地区まで行くものですから、しんどいな、と思うことも結構あるのです。

先日、風邪+胃腸炎で、1週間近く体調が悪いときがありました。もう絶不調で、動くのすらしんどい、でも、コレを治さないともうダメだ、と思ったのです。そこで、やむを得ず、電車にのって多摩地区まで行くことを決めました。その時、朝から何も食べてなかったので、近くの食堂でご飯を食べてから多摩へ行こうと思ったのです。

そしたら、そこでご飯を食べたものの、一瞬にして吐いてしまい、もう何も食べられなくなってしまったのです。この状況を食堂のおじさんが見かねて、「大丈夫か?救急車を呼んだから」と救急車を手配してもらいました。

そこからが大変でした。


119番に電話してから、近くの食堂に来るまで、なんと20分もかかったのです!救急車といえども、国道20号のぐねぐね道ではスピードが出せません。しかも、前の車が遅かったり、混んでたらアウト!他に道がないのでなんとも出来ないのです。
救急車に乗せられ、吐きながらも市立病院に向かいます。救急車もスピードを出して急ぎますが、なかなか時間がかかります。それにぐねぐね道なので、酔ってしまい、(普段は酔わないのですが、体調が悪いせいでしょうか)もう気分は最悪になってしまいました。
窓からの景色を見ながら、「このまま倒れるのかな…」と心細く思いました。


市立病院に到着。救急車を呼んでから、この時点で、50分もかかってます。これ、脳梗塞とかだったらどうなるんだろう、とちょっとぞっとしました。50分はかかりすぎなような気がしますが、他に手段がないのでやむを得ませんね。

医師の診断を経て、「風邪と胃腸炎」ということになりました。
3時間近くかけて点滴をうち、ようやく終わったものの、体調はまだフラフラ、とてもじゃないけど、歩いて帰れるような状況ではありません。市立病院は駅前、ではなく、駅から15分も歩いてかかるのです。そこで、「1晩泊まらせてほしい」と何回もいったのにも関わらず、「自宅に帰って休んで下さい」と言われてしまいました。(それがしんどいから泊めてくれと言っているのに…。)

のたうちまわっている状況でもやむを得ないので、タクシーを呼んで自宅に帰りました。
自宅に帰ったのはよいものの、そこから2日間寝込むことになりました。一応、食料は備蓄があるのでなんとかなりましたが、1人暮らしで病気になるとせつないものです。「咳をしてもひとり」と尾崎放哉の句にありましたが、まさしくそのような心境ですね。
彼女やお嫁さんとかいれば看病してくれるのにな、とふと思いました(涙)


今回の一件があってから、「我が家と医療機関」については考えるようになりました。持病、特に、「急を要するもの」が発生した場合は大変かな、という心配と不安です。もし、そうなった場合はどうするか、田舎でも「総合病院のある田舎」を探そうかとふと思ったものです。先日、埼玉のとある街にいったのですが、そこも、我が家と同じ田舎だったのですが、総合病院まで車で5分!ああ、ここだったら救急車すぐ来るな〜と思いました。

ただ、うちの集落、結構お年寄りは元気で長生きです。向かいのおばあちゃんなんか90超えてるし、まだまだ現役で畑仕事をしているお年寄りも割といます。元気の秘訣はなんでしょうね?今度の寄合で聞いてみようかしら。

また、集落の中でも助け合いの精神があったり、家族がいたりするため、割と生活に不便はないそうです。(一人暮らしのお年寄りが買い物や病院に行くといった場合も、近くの人に声をかければ車で一緒に連れて行ってくれたりします。その辺は古きよき田舎、というところでしょうか。)

いろいろ考えてみたいなと思うこの頃です。それでは〜。

<家を買うまでのヒストリーシリーズ Part5>

こんにちは。ようやく桜が咲いてきて春らしくなってきたこの頃ですね。
みなさんはいかがお過ごしですか?私のほうはまだバタバタしているところですね。
もう少しのんびりしたいなぁと思っているところです。

この<家を買うまでのヒストリーシリーズ>も今回のPart5で最終回です。
このシリーズを始めたところ、いろんな所から反響があり、「早く続きを書いてほしい」とリクエストがあがってきて嬉しい悲鳴?をあげております(^^)私もバタバタしてはいますが、こういった声に応じなくては、と思い、時間をやりくりして書いていきますね。


<家を買うまでのヒストリーシリーズ Part5>

その4 リベンジ!山と温泉のある地方での我が家探しFinal〜
    ついに4LDKの我が家をゲット!

「山の中の芸術の街・一戸建・3DKの物件」をゲットしようとかなり頑張ったのですが、
他の人に持っていかれてしまい、やや失意の日々を送っておりました。「うーん、ギリギリの首都圏でなんとか通勤できる場所はないものか」とネットでひたすら検索する日々が始まりました。会社は都内と多摩に事業所があったので、千葉・茨城などの東側では、通勤することが難しくなってしまいます。都内勤務だったので、千葉・茨城でもよかったし、そちらの方が安い物件が多かったので、そちらでもよかったのですが、多摩に転勤になった場合、通うのが物理的に無理なのでは?ということで見送ってしまいました。今となっては、千葉・茨城の方が気候が温暖なのでそちらの方がよかったな、と思うこともありますが、こちらは私が大好きな温泉に恵まれているので、住めば都だなぁと思ったりもします。

そこで、高尾〜大月までの中央本線内で探すことにしました。大月までだと終電が深夜1時近くまであり、都内からの終電でも新宿11時半ぐらいまでいる事ができるので便利かなと思いました。大月を超えると終電が2時間も早くなってしまうため、それ以上は厳しいという条件でいろいろと探し始めました。

すると、「駅から徒歩10分、土地約50坪、築20数年で180万」という格安な家の情報をゲット!!「これは見に行くしかない!!」と思い立ち、その日の午後には、バイクに乗って1時間以上かけてその物件まで見に行きました。


実際に現地まで飛ばして見に行ってきました。

状況としては以下のような感じでした


・道路があって車が入ることはできる→荷物の積み下ろしが楽
 (後でこれが私道の問題となるのだが、
 当時はわからず・・・)
・家自体もやや古さはあるけれども大きな異常等は見当たらない。
・庭もついている。
・駅まで実際に歩いて時間を計測。約11分。
・周りにはスーパー等はあまりないが、バイクで飛ばせば10分ぐらいでコンビニ。
・予算が120万→180万、と高くなる。ただし、その分、一部屋増える(3DK→4LDK)
・空き家の状態が続いている
・隣の家が3DKで家賃が4万円台。一部屋多い4LDKなら5万円台で貸すこともできるのでは?
・家賃5万円、と想定した場合、3年で元が取れる。



やや予算オーバーではあったものの、スペックとしては結構よいぞ!!と興奮してきました。それに、その当時、100万円台の家はなかなか出物がなかったので、「早めに買わないと!!」というやや焦りと興奮の中で一晩考えてしまいました。

朝起きて、「やっぱりこの家だ!!」と思いたち、連絡を取りました。すると、「まだ物件はありますよ〜」とのことで、「これも何かの縁だなぁ!」とやや興奮しながら、手付けを打ちました。やや交渉したら、160万に値下がり。年を越えてから、正式な決済を行いました。現金で全てを揃え、決済しました。なけなしの貯金をほとんど使っての今回の家購入。スッカラカンになってしまいました。(今でも経済的には厳しいですが…)

それにしても、本当に初めての出来事で、いろんな事が勉強となりました。今回の一件で少しは不動産の事に詳しくなったことや、いろいろと探し回ったことなどがよい経験になりました。ある程度の相場などもわかるようになったのでよかったなと思います。



家を買って、何が一番大きく変わったか、それは、「ホームレスにはならない」という安心感だと思っています。職場で辛いことがあったり、給与が下がったとしても「この家があるから、とりあえずは生きていける」と思い、気持ちに余裕ができるようになったのが大きいなと本当に思います。この安心感は、やはり賃貸では得られない感覚だと思います。住宅ローンがないので、それに縛られる様なこともない、そういうのは大きなアドバンテージだと考えてます。

また、田舎にきて、自然が多く、温泉が近いことが癒しになっている、というのは温泉が好きな私にとって生きがいになっています。庭があることで、家庭菜園を始めて、その楽しさ
に目覚めたり、と新たな発見があったりするのも新鮮ですね〜。

あとは、集落の人や知り合いに言われるのは、「家を買ったんなら次は嫁さんだね〜」とよく言われるのですが、こればかりは運と縁がないとね、まぁ、当分は先でしょうかね、と気楽に構えているところです。当分は気ままな独身暮らしかな…。

とまぁ、こんなところで、【家を買うまでのヒストリーシリーズ】を終わりにしたいと思います。長い文章を読んでいただき、本当にありがとうございました。

なお、このシリーズに関して、もしくはBlogに関して、個別に聞きたい事がある方や連絡を取りたい方はkakuyasuhouseあっとまーくgmail.comまでご連絡頂ければと思います。すぐにお返事できないかもしれませんが、できるだけ答えられる範囲内で答えたいと思います。

それでは失礼致します〜。

【家を買うまでのヒストリーシリーズ Part4】

こんにちは。ここんところご無沙汰しておりましてすいません。
ここのところ、プライベートでいろいろと忙しかったため、なかなかブログを書く時間が取れなかったのです。まだドタバタしているところではありますが、「早く続きを書いてね〜」と言ってくれる方もおられるので、ボチボチ書いていこうと思います。

我が家近辺では、ここのところ、強風が凄まじいことになってます。夜中でもビュウビュウ風が吹いてて、朝出かけるときもものすごく吹いててなかなかキツイこのごろですね。


さて、<家を買うまでのヒストリーシリーズ Part4>に行きたいと思います。


その3 高尾山を越えて〜山と温泉のある地方へいらっしゃい〜♪
    山の中の芸術の街・一戸建・3DKの物件へ。


東京も端のほうに行くと、山々が見えてきます。都内からでも、展望台とか上れば見れるかな。高尾山をはじめとした、小高い山がつらなっています。そこから先は、山の中〜。高尾を越えると山に抱かれた街が見えてきます。多摩地区とは違って、スーパーやお店とかもかなり少なくなってしまい、一気に不便になります。この地区には、温泉が多く、よく、多摩からバイクで2時間近くかけてツーリングに出かけていました。この地区のことはよく知っていたので、「ここら辺に住んで、温泉が近い生活がよいのかもしれない」と思い始めたのです。確かに、ここは不便だけど、東京も近く、買い物も多摩までいけばよい、それに、田舎に移住してくる芸術家も多いから、住みやすいだろう、というのもありました。この街では、芸術家を積極的に受け入れてきたり、そういったイベントや施設があったりするせいか、芸術家の人がやってきやすい、引越してきた人に対してオープンなイメージがありました。
また、高尾までも、大垂水峠という峠はありますが、行こうと思えば、バイクで30分、それならよいな、と思って探し始めました。

すると、駅からバス7分(バイクで5分)、高台にある一軒家・3DKというのがありました。見に行ったところ、進入道路は多少狭いものの、家としては割と十分な広さ、ベランダもついているし、中が広そう、という物件でした。3DKというのは手頃です。一部屋を自分の部屋として、一部屋を客間、一部屋を寝室、といった使い方ができるのでよいなと思ったのです。しかも、温泉まで5分、なんと贅沢な環境なんだ〜、とむっちゃ興奮しましたね。


さっそく「買うぞ!」と決めて、手続きに入ろうとしました。この家は120万前後の値段で売りに出されていましたが、やはりこの値段だと、皆さん欲しがるそうです。そりゃ、この田舎町としても、その程度の広さだと軽く4,5万は家賃で取られるので、その値段なら買ったほうがよい、ということになるのでしょう。3人の人と競合することになり、売主は他の人に売ることになりました。

その悔しさ、といったらありませんよ〜。せっかく、しかも、予算内で買える理想の一戸建てだったのに、他の人に取られてしまったのは、しょうがないとはいえ、かなりショックでした(泣)しばらく茫然自失となっておりました。


その家、今はどうなってるか、というと、その買った人が貸家にして他の人に貸しています。まぁ、その値段なら買いでしょうね、そこも市役所の評価によると350万ぐらいの価値があるそうです。売ってもよし、貸してもよし、なるほど、そういうものなんだな、不動産というのは、と思いました。

今でも、そこの温泉に行く道路中にその付近を通るのですが、「この家を買っていたら、どうなっていたかな〜」とふと思うことがあります。


ヒストリーシリーズ Part4はこんなところです。
続きをお楽しみに〜。それでは。

【家を買うまでのヒストリーシリーズ Part3】

こんにちは。今日もえらい寒いですね〜。
今晩は雪が降るかも、ということで戦々恐々です。
我が家のある地方では、雪が降ると、交通渋滞が起こったり、家から国道に出る坂道で滑ったりと車での運行に支障が出ます。また、高尾〜甲府の中央線はよく雪や台風などで電車自体が止まる事が多くあり、そういった時も時々あるのです。(以前も、電車が止まって帰れなくなり、カプセルホテルに泊まったこともあります)「雪」と聞くと、かなり身構えてしまうこの頃です。


さて、<家を買うまでのヒストリーシリーズ Part3>に行きたいと思います。


・格安な家を求めて3000里〜


「家を買うぞ」と早速決めて、いろいろとネットを検索したり、新聞やチラシを集めたり、いろいろな方法で情報収集を行いました。「コレはよい!!」と思ったものについては、バイクを走らせて現地調査に行く、といった週末の過ごし方をするようになりました。関東一円をいろんなところに探しに行きました。職場が都内と多摩地区にあるため、両方の職場でも通えるような立地を、と探すようになりました。(普段は都内の職場ですが、多摩地区の事業所に行くこともあるので、両方にいけるところが必要なのです)そうして見に行った物件を紹介していきますね。

その1:横須賀にある山の借地物件:驚異の30万!!

これはネットで見かけた物件でした。当初「60万」の売値がついておりました。不動産屋に電話すると「あの物件、買わないほうがよいと思うよ〜」とのっけからのやる気ない態度。「ええ、買わない方がいい
でしょうね、それでも見に来ます??」という強い態度なんですよ。うーん、まぁ、しょうがないけど、値段が激安だから見にいくか、ということで行くことになりました。

横須賀の駅で待ち合わせて不動産屋の車に乗って現地に行きました。ん?車を途中で公園に止めてそこから歩きです。歩いて、歩いて。あることに気がつきました。バイクすら進入できず、坂道をひたすら歩いていかないと現地にたどり着かない、そういった物件でした。そう、駅から徒歩7分は平地なのですが、そこから徒歩6分は、ひたすら山登り、だという事に気がついたのです。さすがに地理条件はキツイだろう!!

家に入ってみると、少し前まで人が住んでいたようで、中はまぁまぁキレイ。崖がちょっと迫ってて怖いところもありますが・・・。風呂場もやや暗めでやや傾いてる、といった感じでした。築年数は不明。日当たりはイマイチ、かぁ、と思ってみてました。いろいろ質問してると不動産屋がこういう一言。

「気に入りましたか!!30万までまけますよ〜」


えー、一気に半額ですよ!!30万+登記の諸費用や借地の名義書換料などで、全額で50万。その金額だけだったら、なんとか買えるじゃないか!!とやや興奮してきました。地代は7000円で20年契約、といった契約。

ただし、こういう但し書きが。
「20年たったら一戸建てを取壊して更地にして返却せよ。」更地費用は250万ぐらいかかる見込み。車や重機が入れないので、手作業で破壊することになってしまい、高くつくそうです。この「更地にして返却せよ」という条件がネックとなってしまい、この物件はなかなか売れないとのこと。

不動産屋が帰った後、もう一度、現地に行って近くの付近住人のおばちゃんに世間話しながらお話。「この山にある全部の家の土地を地元のピアノ屋が持ってるの。土地を買い上げるということは認めてくれないらしい。あの地主はあまりよろしくないわね」「近頃、この山だから出て行く人もかなり多いんだけど、たまに若い人がきて住み始める」という話を聞きました。「若い人がきてくれるのは歓迎だけど、住みにくいかもしれないわねー」とのこと。

んー。いろいろ考えてしまいました。さすがに、「毎日山登りをしないと外出できない」のは体が相当キツイ。登山家でもないのに、それはハードだなぁ。車が入らないと荷物を入れられないし、バイクすら入らないのか、うーん・・・。

・・・結局、この物件は見送ることになりました。


その2:多摩地区のワンルームマンション


当時住んでいた多摩地区では、一軒家なんて1000万円以上もするので買うこと自体が難しいのですが、ワンルームマンションだったら、200〜300万円台で購入できます。築20年もの、どちらかというと学生向けのようなマンションです。そこも見てきました。やはりワンルームだけあって、結構せまいです。ユニットバスだし、キッチンなんてほとんどないようなもの。洗濯機置き場がないので、コインランドリーを使っての片付けになるような感じです。

見て感じたのは、やはり「狭さ」。我が家は荷物が多いので、この狭さだとおそらく入らないっしょ!
そう考えるとしんどいなぁ、と思ったのです。それと、この設備や広さに、100万単位のお金を投資するのは気が引けてしまう・・・。確かに生活は便利なんだろうけど、うーん。家を貸した場合に得られる賃料もあまり高くない(3万ぐらい)しなぁ・・・。

・・・結局、この物件も見送ることになりました。
なかなかよい物件にめぐり合えない日々が続くことになります。


ヒストリーシリーズPart3はこんなところです。

続きをお楽しみに〜。それでは。

【家を買うまでのヒストリーシリーズ Part2】

こんにちは。最近、やたら気候の変動が激しいので、やや調子を崩しぎみなこの頃です。特に、我が家周辺はさらに輪をかけて変動が大きいため(山のため)なかなか大変です。

さて、「家を買うまでのヒストリーシリーズ Part2」に行きたいと思います。


・自宅の近所に安い家はあるのかな?


前回まで家を買う理由として、「住む場所を何が何でも確保する」という理由があったかと思います。
「万が一、仕事がなくなったとしても、住まいだけは失わない」そういった保障がほしいと切に願っておりました。家賃だけで240万(4年分)なんてアホらしい、とも思っていました。

そう思い始めた私は、自然と住宅情報誌をみるようになりました。そこにあるのは、3000万〜4000万、ぐらいの一戸建やマンションといった、「普通の人が普通にローンを組んで買う」物件が並んでいました。

しかしながら、「最低限、住めるだけでよい」と割切って考えているため、そこまでよい物件は求めていませんでした。「中古で古くても」と思うと、うちの近所だと公団の団地(築35年・800万)ぐらいしかなく、「そうか、さすがにムリだなぁ」と思うようになりました。

今から考えると当たり前の事なのですが、建物がいくらボロくても、土地の値段があるので、「土地値」もしくは「土地値―解体費」ぐらいの値段が付いており、そうするとやはり1000万ぐらいはかかってしまうのです。郊外といっても、地価は高いですから、そんな安い家が近所にあるはずがなかったのです。

そうして悶々としているうちにある記事を見つけました。その記事とは…。


・PhaさんのBlogとの出会い:「ニートだけど別荘を買った」


このBlogの記事を見て下さいまし。
ニートだけど別荘を買った
http://d.hatena.ne.jp/pha/20071118/p1

たしか、Webの中のニュースかなんかでこの記事を見つけたと思います。読んでみて「エー!!すげぇ!!こりゃええわ!」と非常に強く思ったのです。

まずは、そのプライス。90万円。
これはかなりありえない値段ですね〜。熱海という地方でも、ちゃんとしたマンションでこの値段はすごい!!熱海だったら、2時間ぐらいでついてしまうし、割といいんじゃないかと思ったのです。
次に、その活用の仕方。「別荘として使う。仲間と共同で使う」これなら資金も少なくてもいいかもしれない。最後に、「別荘を共有し合おう」これ、私も旅行が好きなのでいろいろとでかけるのですが、その時に、お互いの持っている家に泊まりあう、というコンセプトもよいなぁ、と思いました。

また、実際に、業者でもない普通の人がこういうことを実践できるのであれば、私も頑張ればできるかも!という、エールをもらったようで、嬉しかったですね〜。

この記事をキッカケとして、「マイホーム購入計画」はますます進展していくことになっていきました。


ヒストリーシリーズPart2はこんなところです。
続きをお楽しみに〜。それでは。

【家を買うまでのヒストリーシリーズ Part1】

こんにちは。

いやー、今年は雪が多かったですね〜。先週もみぞれみたいな雪が降ったことがありました。去年は、2,3回しか降ってなかったのに。異常気象ですかね。

さて、今回から何回かに分けて、「家を買うまでのヒストリーシリーズ」を書いていきたいと思います。「独身で、100万円台の一軒家をなぜ購入したのか」という核心の部分についてあまり触れていなかったのですが、書いていこうと思います。


・幼いころの記憶…繁華街のホームレス


家族で繁華街にいったときの事。親がホームレスを見て子どもにこんなことを言うのです。「いいか、勉強を頑張らないとこうなってしまう。勉強が大事なんだ」今から思えば、とんでもない話だです。大学を出ても、リストラされてしまい、ホームレスになってしまう人、頑張ってもうまくいかない人、そういう人たちも沢山にいるのに、差別のような形で話すことはひどいことです。
でも、その話を聞いた当時は、「ホームレスになったらどうしよう」という印象が強く残り、今でも残っている、といった感じです。この記憶が「家を買った」という行動につながっているように思えます。


・寮付の職場を辞めた時の「スピード退去」


とある会社に就職し、しばらく働いていましたが、どうしてもそりが合わなくなり、辞めることになりました。その会社の寮に住んでいたのですが、「三日で出ていけ!」と鬼のように会社の総務課から言われたのです。「三日じゃ家を探せないよ!」といっても全く聞く耳を持たず。このときの「家がなくなる」「居場所がなくなる」という恐怖感は今でも忘れません。もうパニックになってしまい、本気で失踪しようかと思ったぐらいです。幸い、知人が空き室になっているアパートを紹介してくれ、大家も事情を理解してくれたので、急いで荷物を運んだのです。そこでようやく、なんとか住む場所を見つけて、転職活動をすることができました。その時の教訓から、「職と住居は別にしなくてはいけない」「仮に職を辞めたとしても、住居は確保しておかないといけない」と強く感じるようになったのです。

この時からでしょうか、住居に強い関心を持つようになったのは。そして「いつか、何があっても住んでいられるような家がほしい」と思うようになっていったのです。


・築40年物の貸家に住んでいた時の「風呂がま事件」


この家に住む前は、「築40年物の貸家」に住んでいました。2DK、家賃5万、駅から徒歩7分、と近い。また、スーパーや本屋なども揃っていて、商業施設もあるので、エリア的には住みやすい地区でした。ただ、これだけのところをまともに借りると8万以上(それでも都内よりかは安い)するので、「古くてよいので安い家を」といって貸家を紹介してもらいました。
この家は本当に古く、築40年物、アルミサッシなんかありません。木枠の古い家でした。広い、のはよいところですが、キッチンもせまく、なんだかなぁ、といった感じでした。


その家の風呂釜が壊れた時、交換しなくてはいけなかったのですが、その大家はなんと、「シャワーなしの風呂釜で我慢しろ」と言ってきたのです。元々、シャワーがついていたのに、ですよ。ガス屋からも電話で「シャワーなしじゃ困るでしょ〜」と言ってきたわけです。
大家と交渉してもらちが明かないので、不動産屋に交渉してなんとかしてもらいました。その時、計算したのですが、結局、その入居している間に支払った家賃は、なんと240万近くにもなったのです。「はぁ〜、こんなボロ家に240万も払っていたの、アホや〜」と思い始めました。「家賃は消えていくお金だ」ということ、「家賃を払うぐらいなら、古くていいので買った方がいいじゃない」と思えてきました。



ヒストリーシリーズPart1はこんなところです。
続きをお楽しみに〜。それでは。